7.26.2014

素敵な人たち

JessorからKhulnaに移動してはや2日。コルカタで出会った友人に案内されてきたのは超高級ホテル。

“ここにおってすんません”

と思う程の良いホテル。一晩わずか1300タカでこの快適さ。首都ダッカではこうはいかん、と偶然出会った日本人の姉さんは言う。いやーしかしバングラデシュ、最高過ぎる。人も親切やし、ご飯もおいしいし、牛肉食べれるし、物価も安い。悪そうな人もいるにはいるけど、外国人に群がる人たちの大半は悪意はなくフレンドリーにコミュニケーションをとりたいだけの人たち。これがムスリム国のええとこなんかな。ただ、お酒が好きな人にはしんどいかもwホテルで買ったらビール1缶450円ぐらいらしい。しかもマズイ。街中では売ってないし。

ほんで今日は友達のMr.Chayanに街を案内してもらう。バングラデシュでは珍しいクリスチャン。この国の宗教の比率はムスリムが7割5分、ヒンドゥー2割、残りが仏教、キリストやとか。で、キリスト教のコミュニティはつながりが強くて共有の教会や、貧しい人たちを保護する施設をマネージメントしてる。そこを見学させてくれた。少数派になろうともキリストを信仰する彼らの心意気は本物なんやな、と感じる。宗教に無頓着な日本人からしたらバングラデシュはそういう意味でも興味深い。

この国のムスリムについても色々教えてもらう。とても保守的。しかも現在ラマダン真っ只中。なるほど、それで茶屋とかレストランに幕が張ってあるんか。


でも幕の中ではご飯食べたり、お茶飲んだり、煙草吸ったりはオッケー。聖域wそれがなんか可笑しくて、興味深い。なんか日本の“本音と建前”に似てるな。ほんで、あと数日で断食月も終わって大きな祭りがあるとか。食べて、食べて、食べまくる祭りwおもろいなー。その期間はみんな地元に帰ったりなんやりで、公共の機関なんかはストップしてまうから気をつけろ、と。新聞にもこう書いてあった。

“地方への電車の前売り切符を買えなかった多数の人たち”

日本のお盆のすさまじいバージョンやな。なんせダッカの人口がすごいから。

ほんでその後、彼のガールフレンドのShivaが半分ボランティアで働いてる施設へ。勿論彼女もクリスチャン。着いたところは恵まれない子どもたちの学校。国連絡みのワールドビジョンという組織がバックアップしてるんだとか。子どもたちの親は薬物中毒やったり、良からぬ人やったりで教育の機会を与えられへん。そやのに、自分たちが教室に入ったらみんな笑顔で歓迎してくれて、バングラデシュの詞や唄を聴かせてくれた。授業が終わると、バナナが配られる。みんなほんまに嬉しそうに投げられるバナナをキャッチする。たかが1本のバナナ。その光景が強く印象に残る。




バングラデシュは最貧国って言われてるけど、実際行ってみて“そんなこともないやん”と思ったり、“あーやっぱり貧しい国なんや”と思ったり、いろんな面を見せてくれる。まー最貧国の定義自体怪しいとこはあると思うけど。

ほんでその後Chayanの家に遊びに行く。“家、汚いけどごめんやでー”と日本人と同じことを言うw実際、むちゃくちゃいい部屋。これもクリスチャン繋がりで借りることができてるらしい。恐るべしコミュニティ力。



彼はごっつい優しくて、頭が良いのがわかる。MBAを取りに外国の大学に行きたいんや、と。うん、キミなら間違いなく行ける。絶対大丈夫。そして国に戻ってなんかやりたい、と。“国に戻って”ってところが泣かせるわ。実際バングラデシュ人の愛国心の強さは節々に見える。1971年に独立したばっかりで、40年ちょい。最貧国のレッテルを貼られたことに対する反発心というか、“今に見とけよ”という気概が溢れている。ただの観光客の自分にさえ、“この国は10年後、面白いことになってそうや”と感じられる。

そして、ここでも痛感する、“japan is no longer No.1”。彼の理想は韓国の大学へ行くこと。街中での他愛のない会話でも韓国製品や韓国文化に話が及ぶことが多い。なんかわからんけど焦りに似た感情が自分の中にある。かといって自分に何ができる?

それはさておき、夜はShivaのおばあさんの家に遊びに行かせてくれた。親類大集合の中になぜ自分がwみんなクリスチャン。しかしそんな自分をもてなしてくれるのがまたバングラデシュ人のいいところ。TATAグループに勤めてはる叔父さんと話す。こんなどこの馬の骨とも知れない人間とも真剣に1時間以上も会話をしてくれる。

家族を持つ大切さ、親族との絆を深めることの大切さを熱く語ってくれた。日本の昭和のオヤジやね。彼と話していて1つ気づいたこと。

日本が狂っているのは、孤人主義とも言うべき、行きすぎた個の尊重が1つの原因なんかも、と。それが、例えば大勢の自殺者を産み出してる一因なんちゃうかな、と。

何か心に重い物が沈んでいたとしても、それを打ち明ける人がいないこと。打ち明けることができるほどの信頼関係を築いた人が存在しないこと。そういった孤独な状況を作り出してしまってる。たしかに孤独と自由は隣り合わせで最高のものやけどね。その弊害についての認識が足りてなかった、と思う。


まー、なんしか今日はすごく刺激的で興味深い経験をさせてもらいました。Mr.Chayanに感謝。


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