セルビアからフランス
ベオグラードは“白い街”っていう意味らしく、実際街は白。というか灰色が多かった。NATOに空爆されたビルがそのまんま残されてたり、かと思いきやクラブにはドラッグが溢れてて、ヨーロッパの中でポカンとEUに加盟していないエリアの一つ。
エレノア姉さんのおかげなのか、危険を感じたことはなかった。イスタンブールの方が数倍危なっかしい雰囲気してた。ま、あっちもヨーロッパからはヨーロッパとは見なされてないけど。日本人の自分がインドから初めて訪れたトルコは完全にヨーロッパに見えた。けど、今となっては、あの危なっかしい空気がアジアの象徴やったんかな、と。
で、セルビアに話を戻して。
出会ったセルビア人たちは優しくて日本人と同じようなノリ。おかしをわけあったり、将来なにすんのー?とか話したり。若い子と話すと、やっぱり話はクラブの話になる。ベオグラードはヨーロッパで最高レベルのパーティータウンや、と。
意外と日本語で挨拶されることがあったり。震災の時は結構話題になったらしいし。でも、すんません、セルビア語まったく覚えられへんwでもこれは忘れへん。
ポラーコブラッテ。
気軽にいこう、兄弟。って意味らしい。
この言葉は至るとこで声かけてくれて、そのおかげでセルビアでは、ほんまに肩の力抜いて生活できた。そしてエレノア姉さんには感謝。
素敵に狂った国にさいならして向かったんはあの、ウィーン。オーストリア。
途中ハンガリーでバスに乗り換えてウィーン。
ペストに打ち克った迫力のある記念碑や、街の至るとこに見える彫刻。社会の教科書に出てくる教会。ディーラーの黒人。ブルカの女性。sex shopに、喫煙用具専門店。これがヨーロッパですか、と少し感慨深いものがあった。
そっからバスでフランスのリヨンへ。20時間のバスにむけて、アリにもらった餞別で準備を。
リヨンに着く数時間前、バスの車内でカップルが性行為を始めるというハプニングがあったものの無事に到着。これがフランスでは当たり前。
トイレ休憩ではプジョーを眺めながら気のいい黒人の男性と話す。フランス人といえどもイロイロなんやな、と当たり前のことを知る。
リヨンはわずか数分でさいならしてグラノーブルへ。チンチン電車に乗り換えてマニュエという駅へ。途中のタコス屋さんでドデカイタコスを仕入れてロバンの家へ。
そうそう、ロバンは“ええ加減働かな”と言ってディーの家から帰ることに。荷物がえらい量やしみんなで一旦グラノーブルに帰ることに。毎回パソコン運ぶんしんどw
0 件のコメント:
コメントを投稿